思い出と絆(日常日記)

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今日は日記は夜更新です。

こんばんは、きつねです。

今日はだいぶ遅くなってしまいましたが祖父母の墓参りに行ってきました。

祖母はぼくが高校1年生の時、祖父は確か大学卒業した後くらいかな?他界してからもうしばらく経ちます。

ぼくが幼少の頃、母が仕事(きつねさんは母子家庭)でだれも面倒を見る人がいない中で祖父母がぼくを預かり、1週間に1回面倒を見てくれてました。

祖母は何かと気にかけてくれ、遊びに行った時におやつをよく差し出してくれました。

祖父とは野球をよくしてました。屋根に上がったボールを取ったりしてくれて、今思うと危ないのによくそこまでしてくれたなぁと思うくらいに世話をかけてくれました。

で、月日が流れてぼくが中学生になってから祖父母の家にあまり行かなくなりました。

まあ部活に入ったのが原因なんですけどね。原因と言いますか、時間が取れなくなりました。

で、その時期くらいから祖母の体調が悪くなり、入退院を繰り返すようになりました。

高校生になって、より祖父母の家に行くことが減り、学校生活を送っていたのですが、高校の1年生の冬に祖母が亡くなったとの話しがありました。

なんか実感が湧かなかったんですよ。言葉で聞いただけで、いや、ほんまに?って。

ただお通夜があり、お葬式が始まり、お焼香の作法とか全く知らない(今もあいまい)ので前でやってた親戚のポーズを真似て、、、

で、お葬式の終わり際。

棺桶が閉められる瞬間。急に涙がブワっと出て「ばあちゃん!ばあちゃん!」とずっと言ってました。棺桶が閉まる瞬間。あれは本当にもうお別れなんだという風に強く感じてしまうもので、あの瞬間は本当に寂しく悲しい気持ちになりました。

火葬場で黒い煙をずっと見ながら心が空っぽになってました。本当にお世話してくれていたからこそぼく自身が何もしてあげられなかったという気持ちに潰されていたんだろうなと思います。

それから1週間は下ばかり見てました。もう辛くて。

で、その当時高校にいはぎりぎりで入った段階で勉強メインで高校生活を送っていたのですが、祖母がぼくに対してこんな言葉を残していたそうです。

大学に入るまでは生きたいなぁ

ぼくは進路について悩んでて、生活が苦しいのは知っていたので高校出て就職するのも有りだよなぁとも思っていたのですが、大学に入らないと良いとこが少ないよなぁとも思ったり。

勉強はしていたのですが、どちらかと言えば友達と学力の順位を競い合うのが好きなのがメインだったので大学に入るための勉強というよりは、勝負に勝つための勉強をしていました。

しかし祖母がそういう言葉を母に伝えていたのであればなんとか大学には入りたいなと思うようになりました。もちろん大学は私立ではなく国立。お金がかかるので。

大学に合格して欲しいという想いがあった事を知ってからひたすらに勉強してました。

ぼくは正直勉強は苦手でした。頭は良く無いのでともかく量。効率とかそんなの関係なく数こなして勝負するって感じで勉強してました。まあちゃんと学び方からしっかり取り組んでいればこんなに苦労することは無かったと思うんですが、気合と根性という昔の人の雰囲気全開で生活してました。

夏休みは540時間くらい勉強してと思います。ある先生から500時間夏休みに勉強したら大学受かるぞーって言われたので。受からなかったらクレーム言ってやろうくらいの気持ちでやってましたかね(笑)。まあそんな事しませんが。

そして今は無きセンター試験。あ、まだぎりぎりあるか。

それなりの点数を得て、推薦(割ときつねさんは内申点が良かった)取れそうだったので受けてみたら無事通り晴れて国立大学の学生さんになることができました。

その数日後、祖母のお墓に行ってきました。10数キロの道のりを自転車で。

墓前で手を合わせ、「ばあちゃん、合格できたよ。ありがとう」っていう感じで確か報告に行った記憶があります。

それから毎年お盆が終わった後くらいかな?一人でお墓参りに行くようになりました。もちろん母とも行ってます。でもなんとなく個別にでも行きたいと思って。

数年後祖父が他界したのですが、本当に疎遠になり、老人介護施設で体調を崩し亡くなったとの話しを聞きました。ぼくは最後を見に行けませんでした。理由はどうしてなのかは覚えていませんが、祖父母には大変お世話になったので毎年欠かさず2人のお墓参りに行っております。

母を亡くして2年とちょっとが経ちましたがそれなりに元気にしてます。また来ます。

今日の日記はこのへんで。

失礼いたします(_ _)。

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